歩いてきた夜の色さまざま

『夜明けのすべて』を2回観ました。

 

 1回目は自分を振り返りながらお話を楽しんで、2回目は北斗くんのことを考えながらポップコーンを胃に詰めていたら終わっていた。もちろん自分に対して考えたことだってすごくたくさんあるけれど、ステージとは違うスクリーンに映る北斗くん、特にこの夜明けのすべてについては、少し書いておければなと思った。

 

 半年前に「キリエのうた」を観たとき、あっこれが北斗くんのいまの頂点なんだぁと胸が詰まった。十字架にかけられ生きるべきか死ぬべきか、逃げ出したくてゆるされたい。北斗くんからそういう劇的な人生が滲んでくるというのは、少し怖くなるくらい鮮烈なことだった。

 けれど今回はだいぶ真逆だ。連続する穏やかな日常のなかで、それぞれの生きづらさと戦う姿。

誰もが「理解してほしい」という気持ちに対して希望とあきらめの間を行ったり来たりする。けれどそれは往来でなく、進みながら絶えず昼と夜を越えているんだと、この映画は押し付けることなく伝えていると思った。誰も置いていかれない。嬉しい。この映画に北斗くんを選んでくれた全てに感謝だった。

 

 北斗くんの演技は、自身の性格や経験、普段通りの仕草や話し方が色濃く残って役に反映されていると思う。いわゆる憑依型とかではないし、どんな作品でも私はわりと「いつもの北斗くんだなあ」と感じていた。松村北斗のままでどうキャラクター化するか、それが常に枢要なのだと個人的には思う。

だからこそ、北斗くんが「陰サイドに立つ人間」を演じるときには特別繊細なシナジーが生まれる。そして、その陰の温度感をとても巧妙にコントロールすることができる。おそれや戸惑い、焦り、うっすらとした不信感。自分以外の誰にも理解を許さない何かを抱えていて、ああそれを奥のほうにしまっているのかな、とこちらに思わせる。そういう演技が上手だ。

普段アイドルとして生きる北斗くんも、どこかでそのくらさがけっこう見えた。それが故意か偶然か、本当か思い込みかは分からないけれど、だから私は北斗くんを好きになったのだと思う。

 

「夜明けのすべて」の山添くんは、北斗くんが演じた役の中でも抜群に親和性が高い。それに序盤の山添くんはちょっと昔の北斗くんに近いかもしれない。優しいけど鋭くて、瞳の奥が見えなかった頃。ぎこちなく目を逸らしてみる感じとか、上がりきらない口角とか、深入りさせずするりと何処かへ行ってしまう姿は、見覚えとよべるものだった。だけどそんな不器用だった身体の動かし方がいま、山添くんの諦念とか焦燥、無気力で疑り深い姿を淡くやわらかく映し出していて、はっきりと山添くんのかたちをしていた。

北斗くんのいじらしく不器用だったところが、人の優しさしか映されないあたたかなフィルムの中で昇華されていくこと。私は勝手にじんわりと嬉しくなった。

 

  好きなシーンはたくさんあるけれど、やっぱり藤沢さんの忘れ物を山添くんが自転車に乗って届けに行くところがすごく素朴で、どうしてかいちばん涙が出て。

言葉もなく自転車を漕ぐ。その何でもないワンシーンではあるけれど、この世界の空気をいつもよりちょっと深く吸い込めたような山添くんの身体の軽やかさをみて、本当にこの映画の空気の作り方は素晴らしいんだと思った。いま、こんな北斗くんがここにいるんだ。なんかほんと、静かなのにすごくて。自転車漕いでるだけなのに……。

 

 家まで送って差し入れしたり突然髪切ってあげるよと家に上がる藤沢さんに対して、なんだこの人……と思っているうちに世界の壁に綻びができる。そうしたら今度は山添くんが作業場で顔をしかめている藤沢さんを駐車場に引っ張ってきて、藤沢さんの世界に風を吹かせる。ちょっとずつ空気が軽くなる。そういうおせっかいで優しい強引さみたいなものは、一人では淀みがちな人生をゆるやかに押し流してくれる感謝すべきものだと、私は生きる中でいつも感じる。それは誰にでもできることではない。

 北斗くんの世界も、周りの人びとが開けた風穴と綻びからぐるぐると回り始めて、いま大げさでなく、世界中に風を吹かせているのだなぁと思った。

 

夜明けの直前が一番暗い。その言葉を聞きながらいまの北斗くんは昼と夜どちらに、どこにいるのかなーと思ったりした。デビューしてお仕事が増えたとしてもずっと太陽のもとにいられるというわけでもない。けれどなんとなく、昼と夜は繰り返すんだよって分かっているんだろうな。

 

 明日のその先にあるいつかの終点を見つめているような北斗くんは、最近あまり表には出てこなくなったと思う。

『みんな錯覚してるだけなんじゃないか』

『永遠はないと思うし、いつか終わりは来る』

そういう前置きをしがちな北斗くんも好きだったけれど、6人でアイドルをしていることを堂々と誇りながら笑う北斗くんがいま、この世界にちょっとでも息のしやすい場所が増えればいいなと思った。

 

 

闇路にあかりを灯して

  ふだん飄々としている黒田くんは、ふとしたとき眉尻を下げて困ったみたいに笑う瞬間がある、と思う。

目を細めて、力の入らないあいまいな口をした笑い方。これがどうしてもあどけなく幼く見えて、いまにしかないんだ!と胸を締め付けられる。

だから、私はこの笑顔が特別に好きだった。成長の隙間の少年らしさを垣間見ることは、いつだって愛しくて、ほんのちょっと苦しかった。

 

  19歳の黒田くんの成長を、一つひとつ思い返していました。

大きくなる背中ときらびやかになる衣装。曇りのない髪色、重みを増すダンス。試行錯誤したクールな雰囲気に大人びてきた表情。どれもが黒田くんの努力がカタチになった姿で。

ずっとずっと進化し続けて、あっという間に今日を迎えていた。

  20歳だなんて、いまはとんでもなく大人になったなと思ってしまうけど。いつかこの先、20歳の黒田くんだってすべてが幼い少年だったと、笑いながらちょっと苦しくなる、そんな日が来るのかなぁ。19歳の特別好きな笑顔を眺めながら、ぼんやり思った。

  黒田光輝くん、20歳のお誕生日本当におめでとう!

 

 

 

 

  19歳・夏の黒田光輝は、とにかくずっと「アイドルの王道とは何たるか?」についてひたすらに考えていたらしい。

そして聞き及ぶ限りの結論は、

「王道=一番支持されていること・たくさんの人の気持ちを掴むこと」

「自分たちが正しいと思う道を突き進んで、自分たちの個性をひたすら突き詰めていけば、それが自然と王道になっていく」

だと、思う。

私は、日本の未来が真剣に気になってまじめに政治家のマニフェストを読むとか、そういう黒田くんの何にでも素直で一直線なところが可愛らしく思っていて。私ははじめ、ちょっとほほえましい気持ちで眺めていた気がする。

  だけど、気づいたらジャニーズJr.200人から王道を背負ってドームに立っていた。

もちろん決まった時系列や経緯はぜんぜん分からないけれど、ダンスやラップの選抜もある中で黒田くんが「王道」を歌ったことへの衝撃はいまでも鮮明に残っていて。

  そして今日に至るまでもずっと、自分たちの王道に自負を持っているのがひしひしと伝わる。本気、本気なんだ!

スプパラ、サマステ、ドーム、ガルアワ。

少年忍者の色。その中の黒田くんの、黒田くんだけの色。試行錯誤しながらだんだんとそれを確立していく姿をリアルタイム、この目で目撃しながら、いままさに自分たちだけの「王道」を見せるためにひたすら突き詰めている最中なんだ、と感じざるを得なかった。

 

  それに王道に関連してなのかは分からないけれど、いまの黒田くんは多彩なスキルを持っていても、自分はあくまで先立って「アイドル」だということを忘れることはない。というか、そうあろうと常に言い聞かせている気がする。私はそれがとても誇らしく、苦しくて、うれしかった。

 

『自分の力を振り絞るだけでなく、あえて余裕を見せながらパフォーマンスすることで、みんなを笑顔にしたいと思うようになりました』

そう話した雑誌を読んだとき、黒田くんには胸の奥に仕舞ってあるプライドがあって、努力によってそれを実現してるんだ、と気づかされた。自己満足じゃなくて周りが求めているものを。こうなりたい!と思ったとき、まっすぐにまっすぐに進める。

触れそうで触れられない、けど意外と触れている。そんな美学みたいなものを、19歳で醸造していた。

 

  これはずっとそうだけれど、黒田くんはすごく「愛されている自覚」がある人だと思う。同時にそれは自分がとても魅力的だから愛されるんだと、ごく自然に繋がる人だ。自分の努力や才能を正しく見つめて評価することができる。

  ファンの贔屓目が含まれているのは本当に自覚しているんだけど、それでも黒田くんは持たないものを誇示することはないと思っていて。振り付けを考えて作曲をして、ラップは詞もトラックも制作する。ファンに惜しみなく前向きな愛の言葉を、「アイドルの黒田くん」を届けてくれる。ふだんはあんなにも飄々としたキャラクターなのに、裏できちんと積み上げてステージに還元する努力と才には、悔しいとすら思った。

  黒田くんがオールラウンダー!と自信を持って言えること、ナルシスト!とつっこまれてメンバーから愛されること、それは、その裏付けを怠らないから。そういう健全な絶対評価だった。

 

  そして、受け取った愛を正しく真摯に見つめて、また同じだけこちらに投げ返そうとしてくれるんだ。歌で、ダンスで、言葉で。いつもできるだけ対等な愛の形をくれる。

 

『みんなは素敵な人だよ

みんなと同じくらい俺も素敵だけどね』

 

  私は、夏のブログのこの何気ない言葉にどうしてかすごく力をもらって。黒田くんの好きなところがぎゅっと詰まっていて、不思議と黒田くんにしか言えない言葉に感じた。

  自分を自由に表現しながら、いっぱいの愛を詰め込んでくれる黒田くんのブログが、本当に好き!それは小手先じゃなくて、黒田くん自身の価値観がダイレクトにあらわれているから。愛される人の愛情だった。

 

  アイドルとしての黒田くんが灯す光は、すべての人に開かれている。けどそれは例えば慈愛の太陽の光みたいに、無条件にみんなを照らすものではないのかなあと思ったりした。

  それに、黒田くんは黒田くん自身を無理に燃やして光ることはない、と思う。というかそれではうまくは光らない。

もちろんパフォーマンス中の黒田くんは何よりも白く眩い光だ!!と思うけれど、なにかはっきりとしたイメージを持つならなんだろうと考えて。

 

  まったく言い表し難いけれど、いうならたぶん、篝火なんだ。

  黒田くんは堂々と火を掲げる。怯むことも押し付けることもなく置かれた場所でまっすぐに。ファンへ、メンバーへ、自分自身へ向けて。

私はそれを分けてもらって、私の中で大切に守っているんだ。それは黒田くんというただひとりからもらったものだけど、たしかに私なりの自信として明日を照らしてくれる。

黒田くんが分け与えてくれた炎を消さないように大切に持ち帰って、私なりの燃やし方で、私もまた誰かに分け与えることができたらいいなあ!そうやって夢を見ながら、明日も世界を愛していられる。

 

  黒田くんの自信に満ちた熱を受け取ったひとが、一人ひとりの炎にして明日の霧を取り払う。そうやって、みんなで世界を照らそうって。うまく言えないけど、少なくとも私にとってはそんな光だったし、黒田くんは本気でそれを実現したがっているんだと思った。

 

 

 

 

 

好きが綺麗な光になりますように。

これは私の好きな文章で、何かを好きだと思うとき、そっと胸の中でなでている。

 

  この大変な世界でも、私の好きが黒田くんの目に映る小さな光になれたらいいな。黒田くんの好きが、この空でもっと輝くといいなあ!

 

 

黒田光輝くん、20歳の誕生日本当におめでとう!光り輝くその目で、これからも世界を見つめてね!

 

2024.01.20